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プロフィール |
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小野整骨院物語
〜私がほねつぎになったわけ〜 |
高校一年の夏、7月の暑い午後でした。中学時代から柔道をはじめ高校でも柔道部に在籍していた私は、先輩との乱取り稽古中投げをこらえようとしてそのまま同体で転倒、右肩から青畳に落ちていきました。『バキッ!』耳元で聞こえたその音は今でも忘れられません。まだ素人だった私にも『折れたな・・・』と、はっきり分かった瞬間でした。柔道という格闘技をやっていながらケガというケガをしたことがなく、この時先輩に連れられて初めてほねつぎ(整骨院)という所にやってきたのでした。診断は『右鎖骨骨折』。上半身を包帯でグルグル巻きにされ、鎖骨骨折の療養が始まりました。
高校三年も後半、本格的に進路を決定する段階になり何がしたいのか?何になりたいのか?と考える日々が続きました。今までは漠然と柔道を続けたいと思うだけでしたが、そのとき頭に浮かんだのが、高校一年のあの夏の整骨院体験でした。『ほねつぎ』この仕事を天職と信じ、専門学校へ受験の申し込みをいたしました。12月の寒空のした、渋谷へと受験に向かったのであります。
無事、渋谷の日本柔道整復専門学校に合格。(ほねつぎの正式名称は、柔道整復師と言います。私も学校を受験するまでは知りませんでした。)入学後、当時その学校で脱臼の講師をしていた山口綱孝先生(前社団法人東京都柔道接骨師会会長)の元に入門、江戸川区一之江の山口整骨院にて住み込みでの修業生活が始まりました。ここでの8年間は私にとってかけがえの無い青春時代であり、よき師匠、よき先輩の指導を受け本物の技術・知識を習得することが出来ました。(待合室に修業最後の日に撮った写真があります。私の思い出の一枚です。)現在も、山口整骨院に於いて研修を修了した弟子たちによる会として、山口先生を顧問とし山口整骨院同門会(山口会)が行われ、日本全国から弟子たちが集まり研修会などを行っています。
専門学校卒業と同時に国家試験にも一発合格、8年間の修業を終えその後、山口先生ご子息からの紹介により杉並区西荻窪の佐藤整形外科にリハビリセンター・センター長として3年間勤務、平成11年5月、ふるさと鳩ヶ谷の地で小野整骨院を開業いたしました。
鳩ヶ谷では、開院当時から多くの患者さんに来院して頂きました。地元埼玉はもとより東京23区、千葉県、神奈川県など近隣各県を始め、遠くは山梨県・南アルプス市などからもご来院いただき、地域一番の整骨院と自負するまでに育てて頂きました。これも縁あって来院して頂いた皆様のおかげと感謝しております。平成19年9月、両親との同居を機に新天地・川口市安行北谷に移転し、安行・草加地域の皆様の治療に当たらせて頂く事になりました。
小野整骨院は皆様の『痛みの治療』に対する責任として、これからも日々努力進歩して行きます。皆様のための整骨院を目指し気軽に来院できる整骨院を作っていきますので、今後とも末永いお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
小野整骨院院長 小野祐二 |

みんなが笑顔になれますように!
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一日も早く『痛みの無い生活』を
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