川口市接骨師会 (社)埼玉県接骨師会川口支部

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川口市接骨師会
〒332-0034
川口市並木3−22−6
TEL 048-256-4000

川口市接骨師会


本会の紹介
会の沿革

本会は、埼玉県柔道整復師会(現・埼玉県接骨師会)が社団法人になる直前の昭和24年5月の時点では、『第2支部』と称し、同年7月に社団法人として新発足したのに伴って、『川口支部』として新しいスタートを切った。

 当時の会員数は3名であり、いずれも川口市で接骨業を営んでいた。後に支部区域は川口市・鳩ヶ谷市・草加市(草加市は昭和58年4月1日に分轄)3市にまたがることとなるが、初代支部長は、柔道接骨術公認期成会の初代会長・竹岡宇三郎氏のもとで接骨術公認に尽力し、また昭和9年以降埼玉県柔道整復師会の副会長を長年務めた宇佐美信である。当初の会員の中からは、後に本県副会長に蓮沼鐵男や生方晴一といった人材を輩出することとなる。

 ところで川口支部の区域である川口市・鳩ヶ谷市の地域的特性を紹介すると、川口市(昭和8年4月市制施行)は埼玉県の最南端に位置し、東京都に接しており、市の大部分の地域は、都心から10〜20キロメートル圏内に含まれている。武蔵野台地から純平野部に接するところに位置するため、北東部が台地、南端にあって高台を呈し、その他はほとんど低地で既成市街地の標高は2メートル程度である。古くから鋳物の街として知られ、鋳物工場や機械工業を中心とする産業都市として、大きく発展してきた。また鋳物と並んで植木・園芸の産地としても全国的に知られている。

 社団設立当時の川口市の人口は約11万人。このような川口の産業に従事する人々の就業時や日常生活時における負傷に対し、柔道整復師は接骨医術をもって寄与すると同時に、施術所に柔道場を併設し、柔道教育を通じて数多くの市民の心身の鍛錬・人間形成の修業の指導に精力を注ぎ、活躍をしていた。ここから市民と接骨業との密接な関係が作り出されたのである。これが、設立当時の我々の先達である柔道整復師の姿であろう。

 一方、鳩ヶ谷市(昭和42年3月市制施行)は、埼玉県の最南端で川口市、東京都足立区に隣接し、首都20キロメートル圏内にあり、関東ローム層からなる大宮台地の最南端に位置しているため、北部及び北東部は高台を呈し、その他のほとんどは低地である。鳩ヶ谷市の発祥は、先土器時代に遡り、各所に貝塚・遺跡等が散見できる。鎌倉時代には既に街道筋として開け、江戸時代に入ると日光御成街道の駅逓となり、宿場町として姿を整えるとともに、各種産物の集積地として発展した。鳩ヶ谷の伝統工芸に和竿づくりがある。なお、鳩ヶ谷市には、古くから医療懇親会が存在し、医師、歯科医師、柔道整復師、獣医師、助産婦など医療関係従事者が市民のより良い健康生活のために協力体制を整えている。

 さて、昭和24年の社団発足時における川口支部内(川口市・鳩ヶ谷市・草加市)の人口は、15万3052人で会員は3名であった。平成17年5月現在では川口市・鳩ヶ谷市の総人口は55万0562人、これに対し柔道整復師数は、川口市が105名(内、本会員66名)、鳩ヶ谷市は18名(内、本会員13名)、合計123名(内、本会員79名)であり、かなりの増加傾向を示している。


            (社)埼玉県接骨師会発行 埼玉県接骨師会史より抜粋 一部変更



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